2012/12/17

桂三枝改メ六代目桂文枝襲名披露公演に行ってきた。

桂三枝改メ六代目桂文枝襲名披露公演に行ってきた。

場所は鹿児島市民文化ホール。
客席はほぼ埋まっていた。
数寄者爺さんとそれについてくる婆さん、といった組み合わせばかり。
中年女性も多かった。友達連れみたいなのが。友達と観るなら、月でも宝塚でも落語でも何でもいいみたいな人たち。
若い人はほぼ皆無。
客席をぐるりと見渡すと、98%くらいの入りか。
主催者側が頑張ったんだと思う。かくいうわたしも「お願い」と言われ2割引でチケットを買った。
普段だったら「上方・創作」を聴こうとは思わないわたしだが、買ったからには行こうと。

だいぶ昔から落語を愛してきたが、ホール落語を観賞するのは初めてだ。
今年の9月末に花月の通常興行を観たものの、色物ばかりで落語は中取一席のみ。月亭八方師匠。しかも割り当てが15分くらい。とてもまともに観た気はしなかった。
この日の興行は「落語の襲名披露」。観た気がしないなんてことはないはず。
しかも今回はホール落語といっても独演会ではない。
襲名披露公演だ。
だからより寄席に近い雰囲気なのではないか。
・・・そんな期待をしていったわけだ。

開口一番は桂あやめさん、という人。
女性落語家はめずらしい。という話を枕にもってきた。
そして「古典落語」は女性が主になる話がないということも。
厩火事とかあるじゃないか。やりようの問題じゃないか?
化粧品売り場の様子をやっていた。ジャンル的に粗忽系。
まあおもしろかった。ちょうど20分。

次に出てきたのは桂三歩という人。
産院で子供が生まれるのを待っている中年男の話。
文枝の弟子らしく心理描写系の創作。
まあまあおもしろかった。
15分くらい。

中取は、なぜか関東落語の重鎮・四代目三遊亭金馬。
演目は古典「試し酒」。
どうも間をつくらない話をする人だと思っていたが、演目中の酒を飲む仕草のおかげでいい間がとれていて、聞きやすかった。
名人上手かどうかはさておき、やはり現役落語家芸暦最長。
前の二人とは貫禄が違った。とてもよかった。
お年がお年だから、存命中に聞けてよかった。25分くらい。

<中入り>
中入りというのは休憩のことね。

休憩あけて襲名の口上。
緞帳があがると、舞台は上から下手まで横渡しに緋毛氈。
その上に座るのは、下手から桂きん枝・三遊亭金馬・6代目文枝・今くるよ・今いくよ。
舞台正面には赤地にでかく「Hotto Motto」の懸垂幕。目がちかちかしたよ。
だいたいそもそも「KKB鹿児島放送開局30周年興行」なのに、ホールの緞帳にでかでかと「MBC南日本放送」って刺繍されている。鹿児島市民文化ホール第2の緞帳は昔からそうなってるんだから分かりそうなものを。たしかにKKBの局からは近いけど、もっと場所を考えたほうがよかったんじゃないか?

相撲や歌舞伎と違って落語の襲名披露はそんなに堅苦しいものではない。
ゆるいトークショーのような感じだ。
普段落語家は一人で出てきてしゃべって帰っていく。
複数の落語家が一度に出てきてしゃべくりあうのはめずらしく、おもしろい。
もっとも、日本テレビの大喜利番組のせいで、そういう絵柄が珍奇なものだというイメージは世間にはないだろうけど。あれは本来は、余興なんですよ。余興。

取り前は漫才。今いくよくるよ。いまだにどっちがどっちだかよくわからん。
なにかネタをやっていた。よく覚えていない。というのも、皮肉なことに、ぜんぜん違うことでウけていた。
肥えている人の方の大げさなドレスが途中で壊れたようで、下の方のフリルがずるずる落ち始め、それを間一髪で支えようと吊り上げる動きが爆笑を誘っていた。「もしかしたらこれもネタなのかな」と思ったが、どう観てもそうじゃないようだった。なんとか自分たちのネタを続けようとしていたから。
でも最後には、ドレスの腰のフリルが全部ずるりと床に落ちてしまい、ふたりともあきらめてそっちの方で話し始めた。
アクシデントがあっても笑いに持っていく力量はプロだなと思った。

大取りはもちろん六代目桂文枝。
有名人だからね。間をおくだけで笑いがおこる。まさに三枝タイムだった。テレビで顔を売った落語家はみんなこうなる。談志も円楽も円蔵も。そういうのもいいのかも。
ネタは、熟年夫婦の夫側の悲哀みたいなもの。これはあまり熟年夫婦は一緒にみたらいけないかも。喧嘩の引き金になる可能性大だ。笑ったら相方に怒られそうな気がする。
しかし師匠、さすが面白かった。創作落語の世界では間違いなく現代の名人である。だからなおさら古典を聴いてみたい。

最悪だったのは帰りだ。
鹿児島市民文化ホールの駐車場は完全にカオスと化していた。
他人のことなど考える余裕も利かす気も失せた狭視野の老人たちの車が、一箇所しかない駐車場の出口に向い、放射状に大挙し、駐車場の白線など関係なしに前へ前へ。つまりあってお互いがにっちもさっちもいかない。窓越しにガンを飛ばしては反らしあう陰険な眼。車同士は2センチ間隔くらいに寄せられ、横から紙切れ一枚挟ませない勢い。上空から見たら鰯の群れのようだったろう。
誘導もいない。これはいけない、事故につながるよ。
わたしの車は出口のすぐそばに停めていたのだが、トイレにいってから駐車場におりたため、車のエンジンをかけたものの、まったくもって動きがとれず、鰯の群れを横から眺めているしかなかった。
駐車場から出るのに30分以上かかった。
親切なおばちゃんがいて、「どうぞ」ってやってくれなかったら、あと20分くらいは残されたことだろう。

年寄りの多い観劇は、ぜひ公共の交通機関で。

2012/11/22

またこんな風邪ひいた心境

南無薬師如来
南無大日如来
南無諸仏諸天神

畏み敬って白さく

「摩訶此那風邪引他心境」

 此度風邪 徐々癒治
 思出過去 前数年事

 朝起眼擦 喉痛鼻垂
 頭呆口乾 自覚我熱
 身起目眩 見時唖然
 顔洗歯磨 衣替靴履

 家出鍵閉 意識朦朧
 歩足千鳥 目指電停
 不可思議 煙草着火
 咳咳々々 莫迦自我

 到着会社 打刻時券
 上司来云 帰故移菌
 無念至極 不評我労
 帰謂千里 呆然自失

 諦念落涙 出会社独
 嘆息手伸 上衣服袋
 取出煙草 着火先端
 喫而爆咳 無謀無顧

 喉裂胸痛 鼻水迄射
 落涙落胆 顔面浸浸
 往我背後 無観何人
 孤独独歩 寒風背推

南無流行性感冒
南無扁桃痛
南無鼻炎
南無花粉症
南無諸病諸症状

ちーん(鼻をかむ音)

 

2012/10/04

永平寺でも、私は私の他人でした。

永平寺は曹洞宗の本山のひとつ
先日、曹洞宗の総本山である吉祥山永平寺に一泊体験宿泊をした。
そのことについて書くことにする。

とりたてて書く事などないのだけど、何か書かないとせっかく行った旅行がどんどん記憶から消えていくのはもったいないような気もするし、このブログもほったらかしになってしまう。
このブログなどどうでもいいんだけど。
そもそも誰が見てるというの?
いったいぼくは、誰に何を発しているのだろう。


以下、雑な文章ですみません---


簡単に曹洞宗と永平寺について説明しよう。

曹洞宗というのは鎌倉時代に興った禅宗のお寺で、道元という人が開祖で、永平寺はその根本道場として福井県の北の方に建てられた。そこには雲水がいて、今現在も厳しい戒律を守って生活をしている。

以上。

ほらね。あった。
これ以上詳しく書くと、件の宗派と元来の仏教との間の差異がどんどん広がってしまい、いろいろと、云々だから、やめておこう。
誰も得をしないのだ。

さて、ぼくがいった永平寺は、伊丹空港からバスで4時間くらいのところに、たしかにあった。中学生の頃読んだ教科書が間違いではないことが分かった。

大晦日の『ゆく年くる年』でよく大写しにされる、真っ白な雪に半ばうずもれた永平寺のゴーンという鐘の音。ああこれは、わけいってもわけいっても山というとんでもない場所だろうと思っていたが、普通の温泉地のような門前町を抜け、参道のすぐ前にバスは停った。停ったのだ。案外すぐのところに。
電気もあればガスもある。携帯電話も通じるゾ。


■たてもの

宿泊施設のある建物は、きっしょうかくとか言ったと思う。
入ったらくつ箱ロッカーがずらぁーとならんでいる。傍らにスリッパがあって、そっからさきに、リノリウム張りのフロアがひろがっている。天井は蛍光灯だ。昔、鹿児島の百貨店「山形屋」が店内照明に蛍光灯を導入した時のコピーに「昼を欺く真珠の光」というのがあった。これは個人的にすごくいいコピーだと思うのだが、まあ、永平寺のフロントも、蛍光灯だ。大衆浴場の土間のようなかんじ。

ほかのところは大層年期がいっている。文化財だし。いいと思った。
法要をするところは大変に薄暗く、トリ目の私は非常に困った。綺麗な仏具がいっぱいあって、僧侶がたくさんいた。いっぱいいてガランとは、これ如何に? 


山門の上にかかる額
山門はすごいな。修行に入る時と、修行を終えて下山する時しか通れないとのこと。
同行のおばちゃんが入口をうろうろして、早速怒られてたよ。
勅使門というのは、勅使と天皇陛下しか通ってはいけないらしい。


廊下が縦横に走っている
山の斜面につくられた寺だから、建物の位置関係は東西南北はおろか上下もまちまちだ。それらはすべて屋根付き階段廊下でつながっている。でも、山の斜面はでこぼこしているのだ。そう簡単に回廊をわたせるもんじゃなかろうがなあと思っていたら、どうやら回廊は天井からつくっていくらしい。おそらく勘の鋭い職人中の職人がつくるのだろう。これはすごいと、思ったよ。


■うんすい

雲水はわかい。みな非常に若い。二十代前半ばかりだろう。
そして、非常に眼鏡が多い。なぜだろう。
とても痩せている。
そりゃそうだろう。とにかく食事が少ない。成長期にここにきたら、成長は止まるだろう。
それにしても、若い人が多いな。若いのに、ここまで執心できるとは。
かくも多様化した世の中で、何かひとつを信じて生きるというのは、並大抵のアレじゃない。
どうしたんだろうね、どうしちゃったんだろうね。
聞きたかったけど、聞けなかったこと。
どうしてここにきて修行しようと思ったのか?
なぜほかではなく、ここなのか?


■できごと

あったことと言えば、風呂・座禅と法話と食事くらいだったな。
三時に入山してすぐに風呂、そして食事・坐禅、法話。
9時に寝て三時半に起床でした。
夜中に煙草を吸おうと宿舎からこっそり出ようとしたが、巨大な鉄の門扉が降りていた。雲水にじろりと睨まれたが、えへと微笑んで煙に巻いた。ほんとは巻くのじゃなく、吸いたかったのだが。それにしても、煙草なしはしんどく、苛々した。関西では「いらち」というのだな。
起きたらご法話。法要。そのあと、眠い寒いひもじいのに、寺の中を歩いて見て回る。

もちろん肉はない
食事は写真を参照のこと。
これは朝食だが、夕食もそんなに変わらない。
ちなみに左下は米だ。中身は直径10センチ五ミリ厚。
なにもかも冷めている。冷めている。
食事はすべて皿を両手でとって食べないといけない。これで結構時間がかかる。
だから量は少ないんだけど、ゆぅっくりいれるからなんだか満足する。
とはいえ、絶対量がないから、そんな満足は幻。
45分も経てばお腹がぎゅるぎゅるなるよ。
胡麻豆腐はおいしかった。

一日目に話をもどすけど、座禅はいいと思った。生活にとりいれようと思う。
坐禅のやり方は、自分で行って体験してください。
ちゃんと方法があるのです。

法話は、眠さと空腹で・・・なんか言っていた。ぼやりとしていたけれど、ためいきもわらいもおこらなかった。おはなしにヤマはなかったようだ。山なのに。


■しゅうきょう

禅宗というのは、日本の宗教史からすると若い方の宗教といってもいい。
宗教史を紐解くと、時代によって宗教の役割がちがう。
飛鳥・奈良などというのは鎮護国家。国のための宗教。平安仏教は貴族など上流階級の宗教。鎌倉にきて現世利益の庶民の宗教。
時代の境目にはその都度留学僧が何かも持ち帰ったりと、発展の契機がある。
禅は鎌倉時代に起こって、どちらかというと武家さんの宗教のようだ。そこには「なんまんだ」というだけで救われるという安易さはなく、すがれば助かるという甘えもない。とにかくうちこみ、禁欲し、徹底的に自己の内面を極めようとする。
ここから派生した文化は多い。
茶道や花道もそうだし、建築様式もそうだ。文化と密接なのはいまでも同じ。
あの大エネルギーを生み出すマシンの名前をつけたとかつけなかっただとか、弥勒も文殊もいまでも活躍している。稼働は怪しいが。

さて、この禅の持つストイシズム。一見隔世の清らかさを見るようだが、実際によぉく考えてみると、あれれと思うことがいくつもある。
多くの宗教は衆生救済という。そして助け合うこと、互いを内なる佛の光で照らし合うことを説くが、この宗教は修行をした本人しか救われないのではないかと。大乗仏教じゃあないわけだ。慈善活動アレルギーの日本にあって、なかなかどうして。しかし、東南アジアにいくと、民衆は僧侶や寺にどんどん寄進する。つまりそうやってカルマを落とそうとする。金持ちはものすごい額を寄進する。だから金ピカの寺がどんどん建つ。日本の托鉢にもそんな雰囲気を感じているのだが、日本の彼らにささげることでカルマは落ちるのか? そもそも日本の仏教にカルマの思想があまり目立っていないから、ただ差し上げているだけのような気がする。まあ、いいんだけど。

えらく戒律がきまっている。何をするにも、だ。
ものの考え方、行動すべてが決まっている。
本来無一物、ではないのか。
ほぼ、ドグマ化している。

八大入覚というのがあって、いわゆる八正道が下敷きになっているようだが、違うようなのが一個入っている。「不戯論」というやつ。どう言う意味かというと、くだらないことを言うなという意味だ。
じゃあ、問答できないじゃん。弟子の立場で何かいったら、全部おっしょさんが「不戯論」で喝破できる。×0(かけるぜろ)になってしまう。
こういうと、また「それは違う」とか「それは認識が足らん」とか仰られるんだろう。
そりゃそうだ、一日しかいなかったんだから。
でも、中途半端に情報を出すから宗教禅は誤解されがちなのだ。
ネット上で結構酷なことを言われているのは、ほとんど曹洞宗。まあ、ネットだしね。どうでもいいか。あそこの人々は、ネットはやらない。実際永平寺には公式サイトがない。もうひとつの総本山である総持寺には立派なのがあるけれど。


半日ぶり、煩悩の味。くらくらきた
■そうかつ

永平寺は観光で訪れる場所ではありません。
ここは自分をみつめなおす修行を行うところです。
行楽気分で訪れることは絶対にやめてください。

これでいいですか?禅師様。

2012/05/17

小唄・金柑漬浮世問答「きんかんづけうきよもんどう」

〽ならぬ堪忍 せぬが肝心
 一度切れりゃあ 戻りはせぬよ
 堪忍袋の 緒に替えは無し

 (囃子:尾のあるうちは まだ猿もどき)

〽飯はまだかと かしまし親父
 うぬが稼ぎで お釜が開くか
 毒を盛られて 逝くよりマシぞ

 (囃子:墓ン中でも夫婦(メヲト)はつづく)

〽耄碌爺に 耄碌婆
 ケチを因果に 長生きするが
 年金手帳は 放しゃせぬ

 (囃子:地獄の沙汰も金次第)

〽極道娘が 極道連れて
 飯の頃合い アメ車で参上
 閼伽児(ヤヤ)が出来たと 向こう見栄

 (囃子:産まれりゃ馬鹿でも可愛い孫よ)

〽命短し 恋せよ君と
 募る陰間の 秋波知れば
 夕陽の翳りも 旭日に見える

 (囃子:五十路の操じゃ質入れできぬ)

〽春は桜で 夏向日葵で
 秋は紅葉で 冬は寒梅
 酒呑み仇にゃ 色気が足りぬ

 (囃子:四季で呑む酒、死期を飲む酒)

〽まこと真面目に 勤めた人生
 御釈迦様でも 涙に暮れよう
 吾が鼻紙で 御拭い候

 (囃子:云うはタダ也、南無阿弥陀仏)

〽産まれ呪って 若さ見過ごし
 老いを恥じらい 死におののけば
 無知に揺られて ハイそれまでよ

 (囃子:酸いも甘いも苦いもあるさ 人生なんざァ金柑漬けよ)

 ※くりかえし


2012/03/30

青柳さんのドッペルゲンガー

江東区のゲーム会社に勤めていた頃のこと。もう十年以上前のことだ。

とあるアドベンチャーゲームのバグ取りを社内で二日連続泊り込みでやらされ、身も心もぼろぼろになっていたら、早朝に先輩が「今日は昼にあがっていいぞ」と。それで昼過ぎになり、帰り支度をしていると、青柳さんという先輩が声を掛けてきた。「あんたはまだ東京に来て日が浅いから、はやばや社宅に帰ったって、何をしていいかわからんだろう。近くに図書館があるから行ってみなよ」。そう言って青柳さんは社宅から図書館への簡単な地図を書いてくれた。
「青柳さんは今日は通常勤務ですか」ぼくは青柳さんもバグ取りで何日も帰っていないことを知っていた。
「おれは」青柳さんは引きつった笑顔で首を振った。「夕方までいるよ」

社宅に帰った。図書館に行こうにも徹夜ですっかり疲れていたので部屋で昼寝をすることにした。寝る前に部屋の窓から外を見た。まだ明るい。そりゃそうだ、昼さなかだ。眼前には公園が広がっていた。公園の敷地のむこうっかわに、男の人の行く姿が見えた。目を凝らしてよく見ると、青柳さんだった。
「あれ?」
青柳さんは暗い顔をしてうつむいてトボトボ歩いていた。
「夕方までいるのじゃなかったかな」
遠くに見える青柳さん。今朝と着ているものが違っていた。
とにかく疲れていたのでぼくは眠った。

夕方に目が覚めて、図書館に行った。
平日なので、利用者はほとんどいなかった。ぼくは初めて訪れる図書館の中をうろうろして何かおもしろいものがないか歩きまわった。
ふと、林立する書架のずっと奥に、一人のひょろっとした人影が見えた。
「あれ?」
青柳さんだ。やはり暗い顔をしている。うつむいている。さっき部屋の窓から見た服装と同じだ。
青柳さんは力なくゆっくりと歩を進め、やがて書架の影に消えた。
ぼくは早足で青柳さんがいたあたりへたどりついた。あたりを見回したが、青柳さんの姿はなかった。
「???」

夜になった。ぼくは社宅に居た。
部屋の外でドタドタ音がする。しばらくすると、勢いよく扉がひらき、満面の笑みの青柳さんがあらわれた。
「いやあ、終わったよ、バグ取り。すっかりハイテンションになったよ。おい図書館へは行ったか?」
上機嫌の青柳さんは、ちょっと飲んでいるようだった。服がズボンからはみ出てみっともない状態になっている。その服は、夕方図書館で見たものと異なり、今朝と同じものだった。
「あれ、れ?」

青柳さんは今日一日会社にいたと言う。

今はどうしているのか知らない。

以上、実体験です。

2012/03/24

婚活パーティー、に行ってみた。

婚活パーティー、に行ってみた。

しかも一人で。

不謹慎の誹りをまぬかれない。3か月経ってないんだからね。

でも、まさが自分が世に流行りの「婚活」というものを体験することになるとは。
そんな機会はないだろうと思っていたから、8割の好奇心と2割のストレス解消気分で行ってみた。

40人くらいいたんじゃなかろうか。
男女比は半分くらいだろう。ちょっと女性が少なかった(主催者発表)。

20:00から23:00まで。3時間。長いとは思わなかったな。

5分くらい遅れていったのだが、まだ始まっていなかった。でも、大方集まってはいた。集まっているのに始まらない。このへんの微妙なゆるさが独身者たちの独身者たるゆえんか。まあ、主催者あってのことだから、そのへんの事情もあるだろう。遅れていった自分がどうこう言えるものでもない。

なしくずしてきに乾杯があって歓談となった。こういうのはいいと思う。乾杯なんてのはどうでもいいのだ。きちっとやったってやらなかったって、だれもそんなの期待していない。「細かいことはどうでもいいから、はやくコミュニケーションチャンスを与えてくれ」という婚活者たちの気分とマッチしている。

10分くらいいたら大体分かった。ゆるーい気持ちできている人と、マジな人とがいる。後者は5人くらいか。そういう人たちはそれなりに年齢がいっていたから気持ちがわからんでもない。
互いに情報皆無な状態で会うパーティーだから、第一印象はカオしかない。人間、カオじゃないとはいうが、30前後ともなると人格がカオに出てくるものだ。だから、カオがあんまりいけなくてマジでガツガツしている人は、もうみんなに半ば煙たがられて、「明日なき戦い」だ。それでもこういう場にやってくるのだから、そこにはもう憧憬ではなく尊敬の気持ちが先に立つ。立っちゃう。本当に失礼な言い方かもしれないが、可哀想と思った。政府は富の分配に気を揉んでいるが、こういった機会にも政策がいるのじゃないか?

司会者のアジテーションがすごい。女の子がつまらなさそうなのは、男がいかんのだとマイクでがなる。女の子が帰ったら男が悪いと追求する。女尊男卑の世界だ。それでなくても草食系が多いといわれる世の中。男たちは委縮するばかりだ。でも、この司会者のパフォーマンスはおもしろいと思う。ゆるい気持ちで会を訪れている連中に締りをもたらす。中にはマジで明日なき戦いを強いられている人もいるのだ。そういう人に失礼があっちゃいけない。結婚の是非は平等じゃないが、結婚のチャンスは平等であるべきなのだ。

3時間のうち、最初の一時間は席を動き回ってとにかくコミュニケーション。次の一時間はなんとなく席が定まってグループコミュニケーション。最後の一時間はワントゥーワンのコミュニケーション、みたいな感じだ。それぞれの時間のムーブメントについていかないと、最後はひとりぼっちか、同性会話に陥る。それはそれでいいじゃないと、同性で会話していると、アジテーターの司会者が檄をとばしてくる。「ソコ! なにしてる!」。そうなのだ。この会は「婚活」。親睦ではない。目的が決まっている以上、他の事は他の事でしかないのだ。

個人的には、動き回る→グループ→ワントゥーワンというその一連の流れに乗っていた。
私は34で、結構年配の部類になっちゃうのかなと思っていたが、案外そうではなかった。ちょうど平均くらいだったと思う。全体的に思ったのが、みんな子どもだな。一回結婚しているだけに、そういう風に見えた。

概してみんなコミュニケーションがおかしい。下手とかオク手とかだったらわかる。そういう人は世の中にたくさんいるし、100歩譲ってまだかわいい。問題はそうじゃない人で、かえってコミュニケーションが過剰あるいは偏向な人が結構いた。やたら自分のことばかりしゃべるだとか、のっけから相手の事を尋ねまくるだとか。会話を流れとしてつくることができない人が多い。だから、ある瞬間に会話がブッツリ途絶える。で、場が散る。とくに男に多い。こういうのは傍目から見てて非常に見苦しい。

会話も、趣味でずっと続けている小説もそうなのだが、コミュニケーションには緩急がいると思う。大事なところを強く、流すところは流す。関心をうながしたいところは少し濁す、聞くときは相槌する、など。そんなのは演出がかったイヤなしゃべり方だと思う人は、大きな間違い。そうでなければ、相手に伝わらない。伝わらないやり方で自分勝手にしゃべりまくるのは、相手の時間を泥棒しているのと同じだ。

携帯電話の電波のように無尽に飛び交うコミュニケーションの中で、覚えているのは二つ。

1)ストリート系みたいな恰好をしたとびきり明るいお兄さんがいた。この人とはトイレ待ちの時一緒になったのだが、仕事を聞くと「お坊さんだYO!」とほんとにラップみたいに踊りながら言った。私が先日禅坊主と問答になったことを言ったら小さくなってしまった。やけにトイレが長く、えらく待たされた。

2)最後の30分くらい、私はずっとひとりの女性と隣り合ってしゃべっていた。ふつうに世間話をしていたら、抽選会みたいのが始まって、彼女は何かが当たって司会者のところに景品を取りに行った。私はひとりでその様子を見ていた。そしたら別の男性が私のところによってきて「あのヒトどうですか?」と耳打ちしてきた。軽く「ああ、いい人だと思うよ」と答えると、男性「あなたが特に思うところがなければ、彼女とアドレスを交換していいですか」と。私は「構わんよ」と言ったが、内心「なんと律儀な。これは紳士だな」と甚く感心した。
女性が私の隣に帰ってきて、3分もしないうちに散会となった。彼女はその日会場に集まっていた女性の中ではたぶん5本の指に入る器量だったので、アドレスを聞きに来る男性が何人もいた。私はその様子を横で見ていた。新たな律儀な紳士は現れなかった。彼女はアドレス交換作業を終わらせたあともしばらく居たが、そのうちに「じゃ、帰りますね」と言って去っていった。それで私も帰った。私も律儀にはなれなかったな。

<総括>

正直、自分にはまだはやいと思った。
故人を思うからとかではなく(それもおかしなことだが)、自分がさびしいからに過ぎないような気がする。

共同生活をしなくてはならないという機能的動機、自分にとってなくてはならない存在であるという相手に求める動機。これらが一致した時、その人とその結婚が出来る。
(結婚の条件あるいは黒い猫)


ほんと、そうだよ。10年ばかり前の自分のほうがよくわかっている。

でも、おもしろかったのでまた行ってもいいかな。人間観察の場としてこんなに面白いものはない。みんな露骨だからな。

2012/01/07

苦しんでいる人に少しでも。癌性腹膜炎のこと(5)

■むくみ

癌性腹膜炎になると、腹水がたまる。
癌細胞が水のようなものを吐きだす。それが溜まる。
腹水がたまるだけでなく、排尿困難から下半身から背中の肩甲骨のあたりにかけてひどくむくむ。
さらに、そのむくみは一晩の姿勢によって変化する。
ずっと尻を下にしていれば、足や背中がむくむ。それが嫌で横になったりすると横になったところからはむくみが抜けて、尻がむくむ。
体の中の水分が移動するみたいだ。

むくむと寝台の上での姿勢のつくりかたが厄介。
なぜなら患者は動きたがるから。誰だって、一日中同じ姿勢でいたらたまらなくなるものだ。
しかし動くと後から壮絶な痛みを発する。
見守る人間としては痛がるのを見たくないから動くなと言いたくなる。
だが、患者本人はそのリスクを犯してでも動こうとする。
癌緩和マニュアルによると、膵臓がんの場合、座っていることの方が楽であるらしい。
また、肝臓がんの場合、右肩が異常に凝るらしい。
愁訴の内容から何が痛いのか、どこから来ているのかを想定して、できるだけ動かしてやるのがよいだろう。
むくみは動くことによって若干緩和される。
もちろん利尿剤も必要である。血圧の上が100を切ると使えないが。

腹水は抜くと一気に消耗する。成分は血漿と同じなので。
癌も身体の一部である。しかも患者の好むと好まざるにかかわらず、身体が受け入れたものである。
だから血管をつくったりまでする。そうして患者の補給したエネルギーをあたかも自分のもののように取り入れる。
そうして癌自体が大きく成長してゆく。
腹水抜きは最後の手段ととらえるべきだ。

苦しんでいる人に少しでも。癌性腹膜炎のこと(4)

■いたみどめ

癌は痛い。
痛い部位は癌によって違う。どう痛いのかも違う。
いえることは、癌が臓器を圧迫して、或いは臓器に喰らいついて痛いわけで、癌をとらないと痛みはなくならない。
その痛みも、臓器の損傷で痛いのか、臓器が損傷した結果おこる臓器不全のため痛いのか。さまざまだ。
どの道痛いのだから、癌を取れないなら痛み止めをつかうしかない。

<最初>
ロピオン+フェンタニル+アタラックス
総じてショット。痛みを止めて、眠らせようというやつ。フェンタニルのシールも使う。
痛みによって適宜増量。

<2>
フェンタニル持続点滴
最初のやり方でフェンタニルが効かなくなったら持続点滴。痛みがきたらフラッシュ。

<3>
モルヒネ持続点滴
フェンタニルが効かなくなったらモルヒネに。痛みがきたらフラッシュ。
モルヒネはフェンタニルと違い、即効性が無い。しかし定期的な使用はモルヒネ耐性をはやめるので不可。
モルヒネには副作用がある。吐き気など。これらは普通2週間くらいでなくなる。
あまりにもきついときはH2ブロッカーで吐き気を制御。
しかしこれをいれると保険の問題で病院食がでなくなる。
味覚障害など顕著に。

<4>
モルヒネ持続点滴+ミタゾラム
ミタゾラムは麻酔前の麻酔のようなもの。安定剤であり、眠ってしまう。すぐに効く。
この段階までくると、モルヒネによる意識レベル低下が著しいが、意識がなくても痛みはあるので、モルヒネは必要。
ミタゾラムは呼吸抑制があるので血圧・酸素量をしっかり見てから。

<最後>
モルヒネ・ミタゾラム持続点滴
ここまできたらほとんど意識レベルは無い。
血圧・酸素ともに下がる。嚥下がうまくいかず、痰がたまる。
呼吸抑制のあるミタゾラムと痰のからみによって、息が苦しくなる。
酸素が減る。血圧がさがる。脈が下がる、ということになる。

苦しんでいる人に少しでも。癌性腹膜炎のこと(3)

■くすり

原発によって使う薬が違う。原発不明の場合はヤマをはることになる。
今最有力なのはTS-1。
この薬は次のようなプロセスを経てプロドラッグ化した。()内はできた頃。

フルオロウラシル(1956)→5-FU(1990)→テガフールウラシル→TS-1(2000)

どのみち副作用はある。
肝臓の数値を見ながら飲んでゆく。
AHCCという健康食品と併せて飲むことで、副作用が軽減されることがあるとかないとか。
とにかく知ったことでいいと思ったらやってみるべし。
さもなければ万が一の時、患者の周りは後悔する。
「ああ、あの方法をやっておけば違ったかも・・・」
この後悔をできるだけ減らすことが、残された人々のココロをどれだけ軽くすることか。

苦しんでいる人に少しでも。癌性腹膜炎のこと(2)

■セカンドオピニオン

星の数ほどいる医者ひとりに「癌です」と言われて鵜呑みにしてはいけない。
多くの専門家の目を経てみるべきだ。セカンドオピニオンである。
これは委任状があれば患者自身がいかなくても家族だけでいくことができる。

<注意事項>

・人を盛る
たくさんの人でいくべき(五人くらい)。
一人では客観的な質問ができないし、保険外なので時間は貴重。
質問を考えている間に他の人が質問をするくらいで。

・その場で主治医に電話させる。
どうしたいのかが決まったら、そのことを直接その場でオピニオン医師から主治医に電話させる。
医師たちは手紙のやりとりをしたがるけれど、その内容を患者や家族はわからない。
目の前で医師同士のやりとりをみるべき。

オピニオンの医師は主治医ではない。気持ちは伝えるべきだが、無理を言ってはいけない。
基本的に、患者とは、主治医のもので、入院先の院長でさえ治療方針に関与できない。
しかし、医師法19条に応召義務というものがあり、正当な理由がない限り医師は患者およびその家族の要求に応える義務がある。
とにかく、言いたいことはいう。大事なのは医師への苛立ちを解除することではなく、病気を摘むことだ。

患者が告知を拒否している場合、厄介だ。
なぜならオピニオンの委任状には病名を書かなければならない。
そういう時は「腫瘍疑い」という書き方がある。
患者には「ちょっとわからないから、あったとしても良性かもしれないから、一応、ね」という形で説得しよう。
そういう場合は患者はオピニオンには連れていけないが。

苦しんでいる人に少しでも。癌性腹膜炎のこと(1)

■癌性腹膜炎

原発不明の場合、基本的に治らない。
方法論の問題である。
つまり、特定のがん細胞であれば、薬や放射線で一極集中治療の可能性があるが、これは腹膜に散らばった小さながん細胞の起こす病気である。治せといっても、砂浜から黒い砂粒だけとりだせといっているようなものだ。

間違えていけないのは次の病気。

【腹膜偽粘液腫】
これは治るが手術以外の手は無いし、もちろん予後も芳しくない。
臓器を取り出して洗う。日本でやるところは少ない。
しかし、がん細胞をすべて洗い流せるのは土台難しい。
またこの病気は盲腸がんか卵巣膿腫からおこりやすい。

【腸間膜リンパ腫・クローン病】
癌性腹膜炎は初期に腸閉塞・狭窄が多い。
しかし、腹膜の病気であるから、内視鏡をいれても単なる炎症にしか見えない。

その他にもいろいろな病気が考えられる。
どのみち腹腔鏡をいれなければなかなかわからない病気である。
かといって、腹膜内は無菌であるゆえ、腹腔鏡をいれた瞬間がんは活性化する。
緩和ケアが最善となる。

しかし、誰でも最初からそういう気分になれるわけはない。
癌ですといわれてすぐに受入れて緩和だホスピスだなど、誰が受け入れられようか。
おそらく多くの人が、そんなことをいう医療関係者に腹立ちを感じるだろう。
それは正常である。それでいい。

だから、やれることを全部やる覚悟で、とにかく情報収集をするべきだ。
方法があるならなんでもやってみることだ。
但し、やれることは時間的にも体力的にも限られている。
そこを引き算しながら、最良の治療チャートを考えて動くべきである。