2012/10/04

永平寺でも、私は私の他人でした。

永平寺は曹洞宗の本山のひとつ
先日、曹洞宗の総本山である吉祥山永平寺に一泊体験宿泊をした。
そのことについて書くことにする。

とりたてて書く事などないのだけど、何か書かないとせっかく行った旅行がどんどん記憶から消えていくのはもったいないような気もするし、このブログもほったらかしになってしまう。
このブログなどどうでもいいんだけど。
そもそも誰が見てるというの?
いったいぼくは、誰に何を発しているのだろう。


以下、雑な文章ですみません---


簡単に曹洞宗と永平寺について説明しよう。

曹洞宗というのは鎌倉時代に興った禅宗のお寺で、道元という人が開祖で、永平寺はその根本道場として福井県の北の方に建てられた。そこには雲水がいて、今現在も厳しい戒律を守って生活をしている。

以上。

ほらね。あった。
これ以上詳しく書くと、件の宗派と元来の仏教との間の差異がどんどん広がってしまい、いろいろと、云々だから、やめておこう。
誰も得をしないのだ。

さて、ぼくがいった永平寺は、伊丹空港からバスで4時間くらいのところに、たしかにあった。中学生の頃読んだ教科書が間違いではないことが分かった。

大晦日の『ゆく年くる年』でよく大写しにされる、真っ白な雪に半ばうずもれた永平寺のゴーンという鐘の音。ああこれは、わけいってもわけいっても山というとんでもない場所だろうと思っていたが、普通の温泉地のような門前町を抜け、参道のすぐ前にバスは停った。停ったのだ。案外すぐのところに。
電気もあればガスもある。携帯電話も通じるゾ。


■たてもの

宿泊施設のある建物は、きっしょうかくとか言ったと思う。
入ったらくつ箱ロッカーがずらぁーとならんでいる。傍らにスリッパがあって、そっからさきに、リノリウム張りのフロアがひろがっている。天井は蛍光灯だ。昔、鹿児島の百貨店「山形屋」が店内照明に蛍光灯を導入した時のコピーに「昼を欺く真珠の光」というのがあった。これは個人的にすごくいいコピーだと思うのだが、まあ、永平寺のフロントも、蛍光灯だ。大衆浴場の土間のようなかんじ。

ほかのところは大層年期がいっている。文化財だし。いいと思った。
法要をするところは大変に薄暗く、トリ目の私は非常に困った。綺麗な仏具がいっぱいあって、僧侶がたくさんいた。いっぱいいてガランとは、これ如何に? 


山門の上にかかる額
山門はすごいな。修行に入る時と、修行を終えて下山する時しか通れないとのこと。
同行のおばちゃんが入口をうろうろして、早速怒られてたよ。
勅使門というのは、勅使と天皇陛下しか通ってはいけないらしい。


廊下が縦横に走っている
山の斜面につくられた寺だから、建物の位置関係は東西南北はおろか上下もまちまちだ。それらはすべて屋根付き階段廊下でつながっている。でも、山の斜面はでこぼこしているのだ。そう簡単に回廊をわたせるもんじゃなかろうがなあと思っていたら、どうやら回廊は天井からつくっていくらしい。おそらく勘の鋭い職人中の職人がつくるのだろう。これはすごいと、思ったよ。


■うんすい

雲水はわかい。みな非常に若い。二十代前半ばかりだろう。
そして、非常に眼鏡が多い。なぜだろう。
とても痩せている。
そりゃそうだろう。とにかく食事が少ない。成長期にここにきたら、成長は止まるだろう。
それにしても、若い人が多いな。若いのに、ここまで執心できるとは。
かくも多様化した世の中で、何かひとつを信じて生きるというのは、並大抵のアレじゃない。
どうしたんだろうね、どうしちゃったんだろうね。
聞きたかったけど、聞けなかったこと。
どうしてここにきて修行しようと思ったのか?
なぜほかではなく、ここなのか?


■できごと

あったことと言えば、風呂・座禅と法話と食事くらいだったな。
三時に入山してすぐに風呂、そして食事・坐禅、法話。
9時に寝て三時半に起床でした。
夜中に煙草を吸おうと宿舎からこっそり出ようとしたが、巨大な鉄の門扉が降りていた。雲水にじろりと睨まれたが、えへと微笑んで煙に巻いた。ほんとは巻くのじゃなく、吸いたかったのだが。それにしても、煙草なしはしんどく、苛々した。関西では「いらち」というのだな。
起きたらご法話。法要。そのあと、眠い寒いひもじいのに、寺の中を歩いて見て回る。

もちろん肉はない
食事は写真を参照のこと。
これは朝食だが、夕食もそんなに変わらない。
ちなみに左下は米だ。中身は直径10センチ五ミリ厚。
なにもかも冷めている。冷めている。
食事はすべて皿を両手でとって食べないといけない。これで結構時間がかかる。
だから量は少ないんだけど、ゆぅっくりいれるからなんだか満足する。
とはいえ、絶対量がないから、そんな満足は幻。
45分も経てばお腹がぎゅるぎゅるなるよ。
胡麻豆腐はおいしかった。

一日目に話をもどすけど、座禅はいいと思った。生活にとりいれようと思う。
坐禅のやり方は、自分で行って体験してください。
ちゃんと方法があるのです。

法話は、眠さと空腹で・・・なんか言っていた。ぼやりとしていたけれど、ためいきもわらいもおこらなかった。おはなしにヤマはなかったようだ。山なのに。


■しゅうきょう

禅宗というのは、日本の宗教史からすると若い方の宗教といってもいい。
宗教史を紐解くと、時代によって宗教の役割がちがう。
飛鳥・奈良などというのは鎮護国家。国のための宗教。平安仏教は貴族など上流階級の宗教。鎌倉にきて現世利益の庶民の宗教。
時代の境目にはその都度留学僧が何かも持ち帰ったりと、発展の契機がある。
禅は鎌倉時代に起こって、どちらかというと武家さんの宗教のようだ。そこには「なんまんだ」というだけで救われるという安易さはなく、すがれば助かるという甘えもない。とにかくうちこみ、禁欲し、徹底的に自己の内面を極めようとする。
ここから派生した文化は多い。
茶道や花道もそうだし、建築様式もそうだ。文化と密接なのはいまでも同じ。
あの大エネルギーを生み出すマシンの名前をつけたとかつけなかっただとか、弥勒も文殊もいまでも活躍している。稼働は怪しいが。

さて、この禅の持つストイシズム。一見隔世の清らかさを見るようだが、実際によぉく考えてみると、あれれと思うことがいくつもある。
多くの宗教は衆生救済という。そして助け合うこと、互いを内なる佛の光で照らし合うことを説くが、この宗教は修行をした本人しか救われないのではないかと。大乗仏教じゃあないわけだ。慈善活動アレルギーの日本にあって、なかなかどうして。しかし、東南アジアにいくと、民衆は僧侶や寺にどんどん寄進する。つまりそうやってカルマを落とそうとする。金持ちはものすごい額を寄進する。だから金ピカの寺がどんどん建つ。日本の托鉢にもそんな雰囲気を感じているのだが、日本の彼らにささげることでカルマは落ちるのか? そもそも日本の仏教にカルマの思想があまり目立っていないから、ただ差し上げているだけのような気がする。まあ、いいんだけど。

えらく戒律がきまっている。何をするにも、だ。
ものの考え方、行動すべてが決まっている。
本来無一物、ではないのか。
ほぼ、ドグマ化している。

八大入覚というのがあって、いわゆる八正道が下敷きになっているようだが、違うようなのが一個入っている。「不戯論」というやつ。どう言う意味かというと、くだらないことを言うなという意味だ。
じゃあ、問答できないじゃん。弟子の立場で何かいったら、全部おっしょさんが「不戯論」で喝破できる。×0(かけるぜろ)になってしまう。
こういうと、また「それは違う」とか「それは認識が足らん」とか仰られるんだろう。
そりゃそうだ、一日しかいなかったんだから。
でも、中途半端に情報を出すから宗教禅は誤解されがちなのだ。
ネット上で結構酷なことを言われているのは、ほとんど曹洞宗。まあ、ネットだしね。どうでもいいか。あそこの人々は、ネットはやらない。実際永平寺には公式サイトがない。もうひとつの総本山である総持寺には立派なのがあるけれど。


半日ぶり、煩悩の味。くらくらきた
■そうかつ

永平寺は観光で訪れる場所ではありません。
ここは自分をみつめなおす修行を行うところです。
行楽気分で訪れることは絶対にやめてください。

これでいいですか?禅師様。