2014/01/05

2014年 明けましておめでとうございます。

新年、明けましておめでとうございます。

平成26年がスタートしました。
本年も、これまでどおりの、あるいはこれまで以上のご愛顧を宜しくお願い申し上げます。

みなさまはお正月を、どのように過ごされましたか。
ご家族・ご親戚とご一緒でしたか?
あるいは、恋人・ごく親しいお友達・ご近所のみなさまと?
大切な方と節目を過ごされることは、実によろこばしいことです。

中にはお仕事で職場の方々や、お客様とご一緒だった方もいらっしゃることでしょう。
それはそれですばらしいことです。

常々思いますに、わたくしたちのすむ日本では、昔から「節目を誰と過ごすのか」ということに、重きがおかれているような気がいたします。

たとえば、若者の間では【クリスマスイブは恋人と過ごすもの】という俗習があります。
クリスマスイブに同性同士で誘い合うのは野暮な行為として嫌われています。恋人同士の場合、事前に納得のいく説明をしておかない限り、当日の夜に別の予定を入れてしまうことは、今後の関係に齟齬をきたす原因になりかねない、極めてデリケートな一日です。

お正月の場合、お盆も同様ですが、何においても血縁での寄り合いが重視され、恋人や友人と会うことは二の次となります。
にもかかわらず、恋人同士の関係が成熟期に至った場合にしばしば聞かれる「今年の元日はカレシの実家で過ごしました」「カレママとお雑煮を作って~」という状況は、当人が家族の一員として認められていることを半ば証明する、まことに晴れがましい風景です。

逆に申しますと、「お正月はどうするの」と尋ねて「帰らない」あるいは「帰れない」という返答を聞かされた場合、その理由は様々あるでしょうけれども、一切の予備知識を排して耳にするその言葉の深奥には、誰しも寂しさと好奇心を禁じ得ません。そして多くの場合、直後に「え? どうして?」「何? 仕事?」といったお節介な質問をほとばしらせ、不愉快なコミュニケーションの空隙を埋めようとします。ですが、それは緊張した(かのように思われる)関係を、ひとまず防衛しようとする本能に近い行動です。罪はありません。しかしなんと後味の悪いことでしょう。

クリスマス・お正月・・・・・・このように、わたくしたちの社会は節目によって誰と過ごすかを限定しようとします。それはまるで節目々々に人間関係を再確認するかのようです。うまくいけば、従来の関係がより固い絆になりますが、悪い場合、ボロが露見したり、コミュニティから除外したりされたりします。
こういった社会の仕組みの中に潜在的に組み込まれた関係浄化、すなわちコミュニティの再構築作用を、わたくしは「ヒエラルキー・リロード」と呼んでいます。勝手に呼んでいます。いやはや、実にいやらしい見解です。

わたくしたちは誰もが何かしらのヒエラルキーに属して生きています。属性は上下関係のように思われますが実は質的な違いであり、各属性は絶えざる交流の中でつねに位相を変えながら時間にそって遷移してゆきます。その中には三竦みのような循環型の関係性(たとえば「部下の父が大学の先輩」など)、その関係により波及する矛盾状態など、単純に違いを線引きできない関係が多々あります。
わたくしたちのヒエラルキーは、日常の気づかない間に、こういった矛盾により摩耗していきます。
この摩耗をいったん回復させるのが、節目なのです。

節目によって回復したヒエラルキーは、社会全般の関係を浄化すると同時に、個々人の剥がれおちつつあった「日常」というリアリティを修復します。節目を経て回復したヒエラルキーに、わたくしたちがひさかたぶりに帰還したとき、懐かしさと同時に何とも言えない新奇さを覚えるのはそのためです。刷新されて以前と違う「以前のまま」を体験しているわけです。

しかし、どんな節目が押し寄せようとも、摩耗するばかりで回復できない関係があります。

それは「個」の関係です。

あなたを見ているあなたがいます。そのあなたも、あなたに見られています。

わたくしたちの社会において、個人のリアリティは、その個人がヒエラルキーのどの層に位置するかで判断されがちです。しかし、実のところ、そんなものは社会を前提としたリアリティであり、個人が個人自身との関係を見つめなおす場合、なんのよりどころにもなりません。

じゃあ、何をよりどころにするか・・・・・・。

あなたのリアリティは、どこか高いところからあなたを見つめていて、なにかあったら守ってくれるような強さを持っていますか?
 ―いいえ、もっていません。そんな義理すら証明できない。

あなたのリアリティは、あなたのかけがえのない恋人のリアリティと互換できるものですか?
 ―いいえ、できるものか。恋人は相手のリアリティを相手以上に持っている。

あなたのリアリティに、あなたはどう向かい合うべきか・・・・・・。

「ねえねえ。リアリティおじさん、おしえてよ」
「『おまえ』が『おまえ』を生きるのに、正月もクリスマスもねえんだよ」

手をとりて ともにのぼらん 花の山

2014年の皆様方のリアリティが益々佳キ花となりますことをご祈念もうしあげ、年頭のごあいさつとさせていただきます。