2015/10/15

新宿末廣亭に行ってきた。


鳴門の渦潮の様に潮目の読めぬ我が人生は、
奇しくも再び私を東京に誘ったので
ええいままよと新宿末廣亭へ暴れ込んだ  

物々しい書き方ではじめたことに特に理由は無い。
風邪気味で頭がおかしいのだ。

前回上京の際、鈴本演芸場を訪れた私は、初寄席の感動と落語協会のなかなかの顔付けに感激し、「いや、ジツに素晴らしいよ」と再び寄席を訪れることを心に誓った。

そしてチャンス再来。
上京の運び、いざ寄席へ。

だが、いざとなると「せっかくだから他の寄席も体験してみたい」という思いに駆られ、そこで前回同様四定席の番組を全てチェックし、行く先を吟味することにした。

本来、寄席なんちゅうのは「今日は何やってっかな?」という感じでふらっと立ち寄って、顔付けににとらわれずハァハァ笑って楽しむもんなのだろう。ある職人が雨が続いてヒマだから寄席でも行くかと何気に木戸をくぐったら、志ん生が黄金餅を演ってて「こいつはいい日に入ったもんだ。儲かったわい」と喜んだ、という話を聞いたことがある。
そんなもんなのだ。

だが、わたしは、貧乏性だから常に得をしたい。
顔付けにとらわれる、所詮ミーハーな芸の分からぬ男なのである。

   ( `ー´)

スケジュールの都合上、観劇は昼席。
各席の番組を見渡すと、やっぱり鈴本が一番よさそうだ。

主任は川柳川柳で、中トリが三遊亭圓歌。
前回ガーコンは拝んだので主任はさておき、圓歌師匠は見ておきたいところ。先日別のところでお弟子さんに伺ったところ、もう「山のあなあなあな…」は演らないらしく、もっぱら「中沢家の人々」だそうだ。この師匠も高齢なので、今のうちに拝んでおきたい気持ちがヤマヤマなのだが。

……せっかくだから鈴本以外に行こう。なかなか上京する機会もないので。
というわけで、新宿末廣亭に行くことに。

理由は「池袋や浅草よりは顔付けがよさそうだった」から。

主任が三遊亭遊三、中トリは笑福亭鶴光。中トリの膝前に三笑亭笑三師匠が入っており、回文名跡がダブルで観られるという、だからなんだという席であった。芸協のベテランが名を連ねている割に、目立った名前が鶴光というのは、なんたる皮肉か。

……毎回番組をチェックして思ってたんだが、ぶっちゃけ言うけど、芸協の顔付けは、どうもなんというか、あの、アレだ。鈴本が外すのもわかる(厳密に言うと芸協から外れたのだが)。

顔付けはさておき。

古イイ!
寄席の佇まいや雰囲気でいったら新宿末廣亭はもはや文化財の域なのではなかろうか。
アルタから新宿通りをずいっと進み、「なんとか銀行」を左に折れて狭い路地へ顔を向ける。
するとその先に巨大な幟旗、橘右近の寄席文字が目に映る。
歩み寄るとモノモノしい黒ずんだ木造の拵え。壁に屋根に大小の名跡看板。
表の受付で入場券を購入し、すぐ横の入り口の姉さんに渡す  その距離わずか三歩程度。近いよ。

板戸を開けてもらい、中に入るとそこはもう客席。

舞台は間口四間くらいだろうか。高座の正面は襖、下手は床の間、上手には演者の名前を示す窓の付いた衝立。世界観はあくまで御座敷なのである。
客席に目を遣ると、真ん中はズラリ椅子席、上下は桟敷席。桟敷の部分は囲いがめぐり、その上を提灯が並んでいる。二階席もあるのだが立入禁止となっていた。

せっかくここに来たのだからせめて桟敷に座ろうと、下手側の一番後ろに胡坐をかく。
タタミ、すっごい斜めってる。
前を観ると柱が邪魔。だけどこの柱のせいで、ものすごい奥行きがある感じがする。

雑誌などの写真で目にする新宿末廣亭のイメージといえば、舞台の左右にあるいかにも古めかしいエアコン(冷風扇?)だ。今回実物を見ると、送風口の下に発泡スチロールの板が仕込まれていた。たぶん水が垂れてくるんだろう。撮影の時は外すんだろうな。
そりゃそうだ。大事に使ってるんだよ。

全体的に、正直キレイかとか上等かと言われたら、年季が入っているだけにそうとは言い切れない。壁中貼り紙だらけで、薄暗くて、歪んでて。

でも、同時にここの良さにも一つ気付く。
おそらくここでは落語など大衆演芸の興行しか出来ないだろう。
極端な例を云うなら、鈴本演芸場のホールなら小さな学校が卒業式をやっても違和感は少ないが、末廣亭ではできないと思う。
末廣亭は、その限定性によって強い寄席色を醸し上げ、高い付加価値を生んでいるのである。

私が入ったのは2時くらいだったか。
通されて桟敷の後ろに陣取った私が高座に目を遣ると、三笑亭笑三師匠が「ぞろぞろ」を演っていた。
かつて八代可楽・二代圓歌という寄席巧者に師事したおじいちゃんは、現役最高齢の九〇歳。こんにち知る人は少ないが、この方こそテレビラジオ時代の最初のマルチタレントと言えよう。本業落語のみならず、テレビラジオのパーソナリティー・ドラマ脚本・イラストレータなどなど、ある意味放送エンターテイメントを方向づけた人物だ。
ご高齢なので、動きの少ない言葉中心のネタを見せるかと思いきや、動きの多い仕方噺を演るあたり流石だ。またこれが妙に色があった。師匠の美学みたいなものを強く感じた。
あの下げ方はおどろおどろしていいなぁ。  何とも書きようがないが。

二番手は夫婦漫才。東 京太・ゆめ子。ぼんやりした夫としゃべくりの妻という定番ネタで、この日一番笑いを取っていたと思う。笑三師匠の醸した濃いおかしみの後をパッと明るくした。

中トリは笑福亭鶴光。東京でまさか上方の落語家にまみえようとは思わなかった。エロ漫談のイメージが強い師匠だが、この人の古典落語の力量にはすごいものがある。話は自身の師匠・六代目笑福亭松鶴のことをおもしろおかしくした漫談。古典ではなかったが、それなりにおもしろかった。そもそも六代目松鶴という人自体がめちゃくちゃな人だ。おもしろくないわけがない。

<中入り>
男子トイレが並んでいて、女子トイレがスイスイいってるというのは、あまり見かけない絵だ。そりゃあまあ、男の客が断然多いし、老人ばかりだから前立腺やら肥大しまくって出てこない→時間がかかる。無理ないわな。

上手後方に売店。みんながジュースなど買って席にもどったところで下座さんの演奏がはじまる。時間通りじゃなくてもみんながそろったらはじめちゃう辺り、家族みたいやな。ええなぁ。

食いつきは三遊亭遊吉。中入りの時のことなどをスルリと枕でネタに出来るあたりとても頭のいい人だと。ネタは「芋俵」。演じ分けがイマイチかと。

膝前は桂伸乃介。ネタは「千早振る」。一〇世家元桂文治の弟子とのこと。うん。それだけ。

膝替わりは大神楽・鏡味仙三郎。太神楽とは大道芸である。
大層な御老体。痩せているのでスーツが良く似合う。この日はちょっと調子が悪かったのだろうか。「お盆に手がくっつきます」みたいなのと、傘を開いて顔に乗っけて維持するのと、傘をくるくる回してその上でボールやら升やら馬鈴やらを転がすのを“かろうじて”やった。すぐに取り落としたり、「あれ?」と言ってみたり。そういうのをわざとやる人もいますけど、どう見てもそうじゃない。終いには客席が気を遣いだし、二秒でも出来たら拍手しようとするほど。見ていてこっちがハラハラしましたね。
一〇分くらいで下がっちゃった。

主任は三遊亭遊三。笑点メンバーである小遊三の師匠である。
でっぷり肥えて声も太く、脂ぎっていらっしゃるのだが、御年77歳。笑三師匠や前の仙三郎師匠をまみえた後だとだいぶ若く思えるが案外そうじゃない。
演ったのはおなじみ「ぱぴぷぺぽ」替え歌。さらに古典落語「親子酒」。替え歌はまあいいとして、親子酒はよかった。たぶん酔っぱらいが上手いのだろう。だがウィキによるとまったくの下戸だとか。分からないものだ。

主任のあと、余興「二人羽織」。中入り後の落語家三名がコント仕立てで客席の御機嫌をうかがった。こういうのもいいものですね。ここでも三遊亭遊吉の機転が利いて、頭の良さをうかがわせていた。

ハネてから思ったのだが、三人とも髪が薄々である。
出演者最長老の笑三が一番モッサリしていたな。

最後に、告白しよう。

開演中、客席後方に三人くらい若いお姉さんがいて、途中で入る方を案内したり、いろいろと用をしていたが、何もないときは折りたたみいすを開いて高座を見ていた。たぶんいつも見ているだろうし、芸人さんとも懇意でしょうから、いちいち笑ったりすることはなかったが、とても感じの良い人たち。
みなさん結構美人だったので、桟敷の一番後ろにいた私はついそっちばかり見ていました。今回の落語エッセー、中入り後の二人の記述が極めて浅いのはそのためです。
すみません。