2015/11/20

浅草演芸ホールに行ってきた。

良い機会に恵まれて、四定席の一つ、浅草演芸ホールを観覧してきました。

東京定席巡りも三席目。シリーズも佳境に入り、私はおのぼりさんの分際で「にわか江戸っ子」を決め込み、「大人一人、くんねぇ」と、浅草の地に足を踏み入れたのであります。

今回は旅程の都合上、浅草にしか行けなかった。
相変らず昼席。
事前の番組チェックはとりあえずした……正直、また芸協かよと思ったよ

だが今回は名跡だけはそろっていた。
雷門助六・三笑亭可楽・春風亭柳橋、しかも当日笑福亭鶴光が抜いて桂文治が出演。
これ、50年前だったらすごい興行ですよ。
名を継いだ方々のプレッシャーたるや、想像がつきません。

浅草のビックリ箱
さて、浅草演芸ホールはその名の通り浅草にある。
東京メトロ銀座線を田原町で降りて、しばらく歩く。
東洋館の横が浅草演芸ホールだ。
これまで行った鈴本・新宿末廣との違い。
それは「観光地にある寄席」ということ。
鈴本・新宿末廣ならびに永谷商事系は、どれも街の中に「ボッ」と埋め込まれるように建っている。そこに環境との関連性は何も無い。
だがここは、横を見遣ればもう仲見世。ちょっと歩けば浅草寺の雷門。
街自体が観光地みたいなところのど真ん中に建っているので、寄席の作りも客引きも、とってもこなれた感がある。
テーマパークの一施設って感じだ。

哀しいことに、空気感に偏るという悲劇は客層にも反映されてしまっていた。
ほとんどの客が観光ツアーの一環で来ているようで、マナーがなっとらん。
移動の時間がきたら口演中でも平気でガヤガヤ退席するし、菓子の入ったビニル袋をワシワシやって音を立てる。
客はほぼほぼ爺婆。鈴本や新宿末廣よりもずっとそうだ。
こういう老人どもに年金がいっていると思うと、腹が立つ。
もう賦課方式、やめようよ。

まあいいや。高座を振り返ろう。

2時を回った頃に入ると会場は満席だった。会場に目を遣る。シーリングに赤白の提灯が飾り付けられている。高座奥は白い襖。とても明るい舞台だ。
高座では古今亭壽輔が、老いらくを毒舌で弄ぶ漫談で客席を湧かせていた。語り口調は粘着質なのだが、しつこさが後に引かない。これはなかなか出せない妙味だ。この一席だけは客席下手で立ち見した。

お次は雷門助六。先代助六は住吉踊りを掘り起こして寄席文化を現代につないだ。当代は飄々とした語り口調で、田舎者の田舎言葉をからかう「けめづか温泉」なる噺をやった。なにかこう、キンキンした感じ。「おなじみの一席」と称して演ったが聞いたことはなかった。

お次は独楽の曲芸・やなぎ南玉。独楽を重ねて回したり、棒の上で回したり、糸の上を渡らせたり。最後は刀の刃を渡らせ、切っ先で止めて回して見せた。まったく抜かりなく見事にやりおおせたので「なるほど」と見とれるのだが、それ以上でもそれ以下でも無い。こういうのって、一回ワザとでいいから失敗して、客席が固唾を飲むような振りを仕掛けておいてから、見せるところはキチンと見せるというのがいいのではないかと思った。

中トリは9代目三笑亭可楽。漫談。先代可楽は寄席巧者で今でもファンが多い。当代は79歳。脚が悪いのか緞帳上げ板付きで登場。先のやなぎ南玉師がはねた後、緞帳が降りたので、終わったと思って席を立った客が結構いた。これは箱側に何らかの対策がいると思う。
イスラム国やパレスチナ紛争についての漫談とも言えぬ話をやった。せめて中トリだから落語を聞きたかった。寄席で芸人が世情を風刺するのはいいが、政治意見をいうのはどうかと思った。

<中入り>
ちょうど三時ごろでだいぶ客が減った。老人が減って、会場が広く感じる。たぶん現代社会も数十年後「中入り」を迎えたら、こんな風にだだっぴろい社会になるのだろう。

食いつきは、番組表によると春風亭柏枝となっていたが、春風亭愛橋が登場。その名の通り愛嬌あふれた調子で松竹梅を演った。なんというか……自分がどう見えているかを一度観察し、「どう見えているか」だけでなく「どう見られたいか」「どう見せたいか」を研究したら、随分違ってくると思う。

お次はチャーリーカンパニー。男二人コント「先生と親父」。この日一番の好演だったのではなかろうか。客は、最初のうちは先生役のツッコミを追うのだが、いつの間にか親父役がどんな答えを言うのか期待するように心が遷移していく。そういう点で非常に巧妙で、客席から見ていて一番心地よかった。親父役は一瞬レオナルド熊かと思った。

お次は柳亭楽輔。演目は風呂敷。テキストは完全に5代目古今亭志ん生。クスグリもテンポもほぼ同じ。大名人の作り上げたネタゆえか、よく受けていた。だが一ヶ所だけ「ウーン…」となったところが。志ん生が「女心のアカサカ」と言っていたところを「女心のアカサカミツケ」としていた。少しでもネタにコントラストを付けようとしてのことだろうけれど、無意味だし却ってダメだと思う。だって「あさはか」は、「あかさか」とは言い間違えても「あかさかみつけ」とは言い間違わないでしょ。せっかくの根問部分に妙なワザとらしさが出やしないか。そういう点が「あさはか」だ。

膝前は11代桂文治。本来出るべき鶴光が席を抜いて代演とのこと。気になっていた噺家だったので可とする。むしろ歓迎だ。
師匠は10代文治で桂伸治で売れた人。遡って8代9代もそれなりに名を遺している。落語界の数ある名跡の中でも極めて歴史のある大きな名前である。
11代の演目は時そば。ボカボカ受けていた。特に秀逸なのは仕草。ソバ喰いの演じ方は客席の感嘆を誘っていた。さすが大名跡、桂流の家元。やはり文治を継ぐだけ合って、客を惹きつける力は非常に強い。
しかし……あれは落語の発声だろうか。あまりに甲高く大きな声で、やや乱暴な気がした。ホール落語向けな感じがビンビンする。

膝替わり・色物はボンボンブラザーズ。バランスを中心とするジャグリング曲芸。失敗を交えてハラハラを誘い、見る者を釘付けにした。前の時そばがアッケラカンとしていただけに、高座の空気がピリリと締まった。こういう空気づくりがやなぎ南玉師にもあったら、と。

大トリは8代春風亭柳橋。師匠は7代目で三木助門から6代柳橋へ移った人。6代目といえばかつて芸協の帝王だった「でナッ」で有名なとんち教室の先生だ。
当代の演目は古典落語・お見立て。割りかしあっさりした芸風で、聞きやすくわかりやすかった。若い人かと思ったら、もう60前だと知って驚いた。膝前が超あっさりの滑稽噺だっただけに、ここは名人ものか何かで良かったのではないかと思ったが……演目を先に決めたのがどっちかわからないので何とも言えない。

とまあ、大収穫ってのはなかったけど……楽しかった。
やっぱり寄席はいいねえ。

あれ? どうして俺、こんなに淡白なことしか言えないんだろ?

次はぜひ池袋演芸場を訪れて、定席巡りを一先ず終えたい。
願わくば、落語協会の席にあたらんことを……。
(観覧したらたまたま芸協が二回連続だったから言うんですよ。他意はありませんよ、他意は)

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